人×お酒の物語

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『丸石醸造』深田英揮が語る!愛知県岡崎市から届ける「二兎」ブランドのしぼりたて|日本酒にまつわる人×お酒×酒蔵の物語
『丸石醸造』深田英揮が語る!愛知県岡崎市から届ける「二兎」ブランドのしぼりたて|日本酒にまつわる人×お酒×酒蔵の物語
愛知県岡崎市の「丸石醸造」から、飲みやすさと可愛いウサギのラベルが特徴の『二兎』しぼりたてが登場!
代表取締役・深田英揮さんが、ブランドの誕生秘話やこだわりについて語ります。

二兎といえばウサギがトレードマークですが、どうしてウサギなの?

ーー二兎ブランドができたきっかけや経緯は?

名前を決めるときに、ターゲットとして女性や外国人を考えていました。
もちろん男性にも飲んで欲しいのですが、とりあえずのターゲットとして… 漢字だけの固い名前だと読めないし覚えづらいので、全世界誰でも知っている馴染みのある動物の名前と動物のラベルで。
その動物を象や蟻や兎に決め、その中から「二兎追うものしか二兎を得ず」というコトワザの逆説で、甘や辛・重や軽・シンプルや複雑味…といった、いっけん相反したような日本酒の構成を一つにまとめて造っていますという意味で「二兎」という名前を選びました。

「二兎」といえばフレッシュさ・ジューシーさが特色かと思います!

ーーこちらの秘密やこだわりについて教えてください!

水は蔵の下、御影石の岩盤の下を流れる軟水を使い、お米は地域に限らず私たちの酒造りに合うお米、今の二兎は全ての酵母は7号です。蔵自体は古いですが、サーマルタンクやヤブタ、充てん室や貯蔵庫など温度管理に関してはしっかりと拘っています。醪期間でも美味しい二兎ができるように日々タンクごとに温度設定を変えるなどしています。

「二兎」ブランドといえば毎回ユニークなラベルが可愛くて、いつも手に取ってしまいます!

ーー先日もウサギとゴリラが描かれた「活性にごり」を飲みました(にごり→ゴリ→ゴリラ?)ラベルの創作イメージはどのように生まれたの?

私がなんとなく頭で描いたデザイン案を手書きで出します!
それを二兎専属のデザイナーさんが私の考えを具現化して素敵なデザインに作り上げてくれます。その間お互い意見を出し合い何回も何回も修正を繰り返します。

ただ今年の活性にごりの二兎ゴリラはほとんど頭の中でできていたので、修正もほとんどなく今までで一番早く出来上がりました。頭で作るイメージに関しては、私は小さい頃から買い物やウインドーショッピング、食べ歩きや飲み歩きが好きで、国内外問わずアンテナ高くたくさんのデザインや情報を見てきました。そのあたりが今に生きているのかなと。

私の頭の中にはまだまだいろいろなウサギが跳びまわっていますよ。

 

ーー二兎の他に、まるいし、徳川家康、三河武士、長誉…と様々なブランドがありますが、それぞれどのような違いや特色は?

二兎は全国全世界で戦えるお酒、徳川家康は山田錦で造る香り高いお酒で百貨店や空港など向けにご贈答やお土産の品として。
三河武士は地元三河産のお米を使い最終的には愛知県内のみでの販売を計画中、長誉は地元の昔からのお客さん用に、と販売先やターゲットを分けています。

 

ーー今後の展望や目標は?将来のビジョンや新たな取り組みについて。

日本酒にしようさんとのこの3年の変化ですと、コロナ禍の中でも新たに二兎を好きになった方がとても多いです。
昔に比べると二兎という名前が少しは広まっているのかな。ありがとうございます。また昨年が創業333年だったので記念酒として高精白や低精白、貴醸酒など今までしたことのない造りをすることができました。おそらく今後に生かされると思います。今後のビジョンは、日本酒好きの方じゃなくても普通の人が二兎という日本酒を知っているというくらい知名度を上げたいです。そうなると、今まで以上に二兎を飲んでくれる人が増える。せっかく美味しく造ったのだから、たくさんの人に飲んでもらいたいです。

そして将来は空気の良い景色の良い場所で余生を過ごし毎日お酒を飲みながらのんびり暮らしたいです。

丸石醸造とは

出典: 丸石醸造公式サイト

約330年前の元禄三年(1690年)に愛知県岡崎にて日本酒造りを始める。

丸石の歴史は、初代にあたる投町三太夫が江戸活況の中、西から江戸へ続く東海道の往来により酒造りを伝え聞き、農地を得て大量の保有米を酒造りに生かし1690年に酒造業を興した事により始まった。

明治時代に入り木綿業や銀行を興すなど事業を拡大しつつ、1900年に灘は西宮市久保町に蔵を造り灘の地にて酒造りを始めた。当時は灘で造ったお酒を「長誉」、地元岡崎で造ったお酒を「三河武士」としていた。

その後岡崎にて焼酎、みりん、味噌、醤油造りなどを始め、蔵は隆盛をむかえる。しかし太平洋戦争中の岡崎空襲により蔵のほとんどを焼失することとなり、戦後僅かばかり焼け残った岡崎市中町の味噌蔵を再築し日本酒造りを再開させた。

創業以来いろいろな事業を興す中で、始まりから今に続くものは唯一「日本酒」を造ること。その歴史を岡崎から後世に紡ぐ

高岡 麻彩(Maaya Takaoka )

京都府出身。関西学院大学卒業。
日本酒サブスクリプションサービス「日本酒にしよう」CEO。年間50以上の酒蔵を訪問し、1,000以上の日本酒をテイスティング。燗酒コンテスト2021・ワイングラスでおいしい日本酒アワード2022審査員。きき酒師資格取得。
インドで「Sake box」をプロデュースし、海外の新規市場開拓にも貢献。「日本酒を知ることは、日本を知ること」をモットーに、日本酒は大切な文化であり、守り伝えていくべく国内外に活動を広げている。

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