人×お酒の物語
Story
代表銘柄に『KURAMOTO』を持つ奈良県奈良市の「倉本酒造」
乳製品の大手企業から転職し酒蔵を継ぐ道を選んだ、専務取締役の倉本隆司さんにお話を伺いました。
日本酒は山と水の礎に!
ーー倉本酒造の歴史について教えていただけますか?
創業1871年(明治4年)私で7代目。
蔵は創業当時の蔵を使用していますが、継ぎ足しで大正・昭和・平成の建屋もあります。
『金嶽』が今までのメインブランドで、地元地域向けの酒造り、そして販売をしてきました。
祖父の代位に親戚が独立。地元・都祁村(つげむら)以外ではほとんど酒屋流通はなく、親の代までは地元の個人の消費者に直接配達するスタイルでした。
白雪酒造に桶売りを行っていた時期もありました。
2005年以降は蔵元杜氏スタイルで親が酒造りを行っていました。(但馬杜氏)
私が戻るまでは、親と地元の方と3人。私が戻った2015年冬からは家族3人。
2023年4月より1人従業員を雇って今はメイン2人と親に手伝ってもらいながら酒造りを行っています。
ーー倉本酒造の礎となる裏山と山水について、特徴を詳しく教えてください。
お酒の基本は米と水。そしてその水は、自家の裏山の水です。水は綺麗ですが浅井戸の保有量は少ないです。
山の上に位置する蔵は、最高位に位置しています。
山があれてしまうと水も蓄えられなくなるし、質も下がります。水の大切さは山の大切さ。
水は軟水で、カルシウムが多くマグネシウムの少ない軟水です。
発酵は穏やかでまろやかな味わいになります。
過去の経験と今の酒造りへの想い
ーー以前は乳製品の大手企業で働かれていたとか。酒蔵を継ぐきっかけは?
就活で乳業メーカーを志したきっかけは菩提酛なんです。
お酒造りにおいて酵母と麹の重要性は理解していましたが、自分自身、乳酸菌も大きくかかわる事に対して知識がなく、親の世代で1999年に奈良県で菩提酛復活プロジェクトが始まったのをきっかけに知りました。そこから、乳酸菌関係の仕事が出来たら面白いかなと思ったので就職しました。
しかし、就職した後もずっと酒造りをやりたい想いがありました。
一番の大きなきっかけは、酒販店主催の酒の会に参加し、飲んだお酒がすごくおいしかったこと。酒造りはしたいがお酒が弱いので日本酒を飲むことはほとんどなかったので、感動し、こんなに美味しいならもっと多くの人にも飲んで貰いたいなーと思いました。
就職によって、食品製造における多くの知見を得られたのは大きかったです。
今の酒造りに活かされていると思います。具体的には、衛生面や機械やソフトウェアに対する知識等が挙げられます。
酒造りは、微生物の力によるので人間が出来るのは環境を整える事かなと考えるので、製造環境を向上させる事に活かされているなと思っています。
創業1871年(明治4年)。昔から地元地域向けの酒造り、そして販売をしてきたが、2018年に温故知新の酒造りを醸造理念の元、伝統を守り、ニュースタンダードを醸す新ブランド『KURAMOTO』を立ち上げる。
日本酒を飲んでくれる人のすそ野を広げられるよう、製造方法も、伝統製法にとらわれないチャレンジを続ける酒蔵。「難しく考えずに飲んでほしい」という想いから特定名称は示さないとこだわりを持つ、次期7代目の倉本隆司さんが旗を振って挑んでいるこれからの酒蔵から目が離せない。
高岡 麻彩(Maaya Takaoka )
京都府出身。関西学院大学卒業。
日本酒サブスクリプションサービス「日本酒にしよう」CEO。年間50以上の酒蔵を訪問し、1,000以上の日本酒をテイスティング。燗酒コンテスト2021・ワイングラスでおいしい日本酒アワード2022審査員。きき酒師資格取得。
インドで「Sake box」をプロデュースし、海外の新規市場開拓にも貢献。「日本酒を知ることは、日本を知ること」をモットーに、日本酒は大切な文化であり、守り伝えていくべく国内外に活動を広げている。
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